プロローグ:一通の手紙と、ひとつの香り
「先生、忙しかったら、来なくてもいいですよ」
ある日、わたしの手元に一通の小さなお手紙が届きました。そこには、なるなるで過ごしていた女の子からの、控えめだけれど温かいお誘いの言葉が綴られていました。
彼女のバレエ発表会への招待状。あの子は今、小学校1年生。赤ちゃんのときからのお付き合いです。 離乳食も進まず、ママから離れるとすぐに泣いてしまっていたあの子が、今は筋肉もしっかりついて、ステージで堂々と踊っている姿に、思わず涙がこぼれそうになりました。
人の成長って、なんてすごいんだろう。そして、そこにほんの少しでも関われる保育という仕事は、なんて尊いんだろう。 そんなことを思いながら、ふと記憶がよみがえります。
20歳のとき、わたしはひとつの歌をつくりました。 タイトルは「ソラ」。 あの頃、ある女の子と出会いました。彼女の手のひらからは、なぜだか“はちみつ”のような香りがしていて、不思議で、あたたかくて、胸にすっと入りこんでくるような存在でした。 その子との日々の中で感じたことを、ひとつの曲に綴ったのです。
「はちみつ香る小さな手のひら あの子がくれた大きな夢」
「ソラになりたい 大きなソラ みんなを包み 悲しみも全部 包み込んで」
この曲がきっかけで、「もっと広く、自由に、保育と向き合いたい」と思うようになり、わたしは一歩ずつ、起業という道を歩みはじめました。
このエッセイは、そんなわたしの足あとをたどるものです。保育士を志すあなたに、少しでも届いたらうれしいです。
第1章:保育士としての現場と葛藤
保育士になったばかりの頃。
わたしは、日々目の前の子どもたちに向き合いながらも、どこかでいつも小さな違和感を抱えていました。
「もっとこうしてあげたいのに」
「でも、園の方針やルールがあって…」
そんな思いを抱えることが、何度もありました。
保育園というのは、組織であり、チームであり、そしてある意味“制度”の中で動いています。たとえ、目の前の子にとってそれがベストな対応だと感じても、自分ひとりの判断では動けない場面が少なくありません。
ある日、いつもママと離れると泣いてしまう子の対応について、保護者の方から相談を受けたことがありました。わたしなりにアドバイスをし、翌日、その保護者の方が実際にそれを試してくださったんです。
するとその子は、前日とは打って変わって、安心した表情で遊びに加わることができました。
「よかった…!」
そんな小さな成功に、心から感動したことを覚えています。
でも、こうした保護者とのやりとりも、園の方針や体制によっては「勝手に対応してはいけない」と言われてしまうことがあります。個々の思いや想像力よりも、マニュアルや流れが優先されてしまう。そんなことも、保育の現場では少なくありませんでした。
「これは、本当に子どものための保育なんだろうか?」
現場で真剣に子どもと向き合うほどに、理想と現実のギャップに苦しみ、心がすり減っていくような日もありました。
保育士として、できることには限界がある――
そう感じていたわたしにとって、最大の葛藤は「正しいと思っていることをやれないこと」でした。
少しでもルールを外れてしまえば、それは“違反”になる。
でも、そのルールの中では、目の前の子どもに本当に寄り添うことができないこともある。
わたしはいつも、心の中で問うていました。
「子どもにとって、今いちばん必要なことはなんだろう?」
そう考えたとき、「わたし自身が責任をもって、自由に判断できる環境をつくりたい」と、うっすらと思うようになっていきました。
現場で働いているときには、そんな想いを口に出すことさえできませんでした。
でも、その小さな違和感や葛藤こそが、やがて自分自身の道を選ぶきっかけになっていったのです。
誰かの決めたルールではなく、自分の信じる保育を。
それは、責任も伴うけれど、何より「納得して働ける場所」をつくるための第一歩でもありました。
第2章:起業という選択──アイエムアイ誕生
「保育士を守りたい」
この言葉は、わたしの中で静かに、でも確かに芽生えていた想いでした。
保育士として現場に立ち続ける中で、わたしがいつも気になっていたのは、「保育の質」そのものよりも、それを支える“環境”のことでした。
保育士が疲れ切っていたら、子どもに優しくすることはできません。
保育士が安心して働ける場所でなければ、本当に子どもに寄り添う保育なんてできるはずがない。
でも、現実にはそうした「保育士自身を支える場」が、あまりにも少ないと感じていました。
保護者との間に立って悩んだり、現場で孤独を感じたり、気づけば身体も心もすり減っている…。
そんな保育士を何人も見てきました。
そして、自分自身もその一人でした。
「だったら、わたしがつくろう。
保育士が安心して働ける場所を、保育士が幸せに働ける環境を」
その決意が、2013年の起業へとつながっていきました。
名前は「一般社団法人アイエムアイ」。
今でこそ「なるなるの木」や「面会交流サポート」など幅広く展開していますが、創業当初は、保育園もスタッフもいない“ゼロからのスタート”でした。
それでも、「やるしかない」と思えたのは、「このままじゃダメだ」という強い感情があったからです。
起業というと、華やかな響きがあるかもしれませんが、実際は地味な準備の連続です。
それでも、「理想の保育」を叶える場所をつくるんだと思うと、自然と力が湧いてきました。
今でも忘れられないのは、札幌商工会議所が主催する異業種交流会に参加したときのこと。
200人以上の参加者の中で、「自分の会社のホームページを持っている人は?」という質問に手を挙げたのが、たぶん、わたしひとりだけでした。
すると、講演していたラッキーピエロの創業者・王一郎さんが言ったんです。
「手を挙げた人以外は、もうダメです。諦めてください」
あの言葉が、胸に強く残りました。
自分の理念や想いを、発信していくことの大切さを実感した瞬間でもありました。
最初は、誰もいない事務所で、机に向かって「これから何をしていこう」と考えるところからの始まりでした。
でも不思議と、不安よりも希望のほうが大きかった。
「よい保育をするために、わたしは経営者になる」
それは、若さゆえの無謀さだったかもしれません。
でも、その無謀さがあったからこそ、前に進めたのだと思います。
自分の責任で、自分が信じる保育を実現していく。
その覚悟を持って、わたしは「保育園を超える場所」をつくろうと歩みはじめました。
第3章:地域とつながる保育のかたち
アイエムアイを立ち上げてから、わたしが大切にしてきたことがあります。
それは、「地域とつながる保育」を実践すること。
保育というと、園舎の中で完結するものというイメージを持たれる方も多いかもしれません。でも、わたしはずっと、保育は社会と切り離された場所ではなく、むしろ“まちの中”にあるべきだと感じていました。
たとえばあるとき、札幌・清田にある温浴施設「湯の郷 絢ほのか」さんで、実験的に「湯ったり保育」という企画を行いました。10時から13時までのあいだ、お子さんをお預かりしている間に、ママたちにゆっくり温泉に入ってもらうという試みです。
「お子さんを連れて行ける場所が、もっと増えたらいいな」
そんな思いからスタートしたものでした。
参加されたママたちの顔が、帰るときにはほんのりピンク色にほころんでいて、「久しぶりにひとりの時間を持てました」とうれしそうに話してくださったのを、今でも覚えています。
こうしたイベント保育や、一時保育の取り組み、さらには親子向けのリトミック講座、キャラ弁づくりの託児付きセミナーなど……。
わたしが手がけてきた保育の多くは、地域の人たちとの協力で生まれてきたものばかりです。
一方で、ネット上のやり取りによるベビーシッターによる事件が話題になったときには、改めて「人の顔が見えるつながり」の大切さを感じました。
ネットは便利。でも、子どもを預けるという“命を預かる行為”は、やはり信頼関係があってこそです。
SNSを使う人が増え、顔の見えないやりとりが当たり前になっていく今だからこそ、「生きたコミュニケーション」の価値を見つめ直すことが、保育においても大切だと思うのです。
地域で育つ子どもたちは、地域の大人たちによって守られていく。
その輪の中に、保育者として、そして経営者として、どう関わっていけるか。
それを考えることが、わたしにとっての“保育の仕事”の本質でした。
保育は、子どもとだけ向き合うのではなく、親と、地域と、社会と、つながっていくもの。
だからこそ、保育士として大切なのは、専門性だけではなく、「人とつながる力」なのだと、わたしは思っています。
第4章:面会交流という新たな挑戦
アイエムアイが「保育」という枠を超えて取り組むようになった新たな分野、それが「面会交流サポート」です。
「面会交流」という言葉に、まだなじみのない方も多いかもしれません。
これは、離婚や別居などによって離れて暮らす親と子どもが、定期的に会うことを支援する取り組みのことです。法的にも、子どもの福祉の観点から重要視されるようになってきたテーマです。
でも、実際にやってみて感じたのは、「現場の複雑さ」と「心の奥に触れる仕事」だということでした。
親と子が会える場所をどう確保するのか。
子どもが安心して過ごせるように、どんな環境を整えるのか。
そして何より、どちらか一方の親に偏ることなく、第三者として中立の立場で見守るという難しさ。
わたしたち保育者が培ってきた“寄り添う力”と“観察する力”は、この面会交流という分野においても、実はとても重要な役割を果たします。
「今日はお母さんと会えるの、楽しみにしていたんだ」
「もう帰らなきゃいけないの? まだ一緒にいたいのに…」
そんな声にそっと耳を傾けながら、子どもの心が揺れるのを感じるとき、わたし自身も感情を揺さぶられます。
ある講演会では、母親と20年間会えなかったという議員さんが、自身の体験を語ってくださいました。
「泣き崩れる母の姿が、今も忘れられない」
その話を聞きながら、わたしも自然と涙がこぼれました。
この仕事は、ただの“支援”ではありません。
子どもにとって、かけがえのない「親との記憶」をつくるサポートなのです。
ときには、親同士の感情が激しくぶつかり合うこともあります。
そんな中で、子どもが安心して過ごせるよう、私たちが“安全な橋渡し”になる。
その責任はとても大きいですが、その分、やりがいもひとしおです。
そして、面会交流を支える中で、あらためて感じたことがありました。
それは「父性と母性は、植え付けるものではなく、子どもの中にすでにあるものを引き出すこと」だということ。
子どもは、自分の中にある感情や愛情を、誰かにちゃんと届けたいと願っている。
その願いを、見守り、支える大人がいるだけで、子どもは安心し、成長していけるのだと、面会交流の現場は教えてくれます。
保育と面会交流。
まったく違うように見えて、実は根っこは同じなのかもしれません。
「子どもにとって、何がいちばん大切かを考え、行動すること」
その信念があれば、どんな分野でも、私たち保育者の力はきっと生きていくのだと思います。
第5章:AI時代の保育と経営のビジョン
ここ数年で、保育の世界にも「変化の波」がじわじわと押し寄せてきました。
そのひとつが、AI(人工知能)との出会いです。
正直に言えば、わたしはどちらかというと「手書きのメモが好き」なタイプで、最初はAIなんてちょっと遠い世界の話だと思っていました。
でも、ある日ふとGoogleのサービス「NotebookLM」に触れてみて、衝撃を受けたんです。
まるでラジオ番組のように、アイエムアイの経営方針や理念をAIが“分析”して語ってくれていたんです。「わたしってこんなふうに見えてるんだ…」と思わず笑ってしまいました。
もちろん、AIは人間の代わりにはなれません。でも、補助として活用することで、保育現場や経営の在り方は大きく変わる可能性を秘めています。
たとえば、ある日AIを使って、アイエムアイの「テーマソング」を作ってみました。
タイトルは『歩んで行く』。
作詞はわたし自身で、曲作りやアレンジはAIと共同作業。
「もし自分が男性だったらこんな声で歌ってみたいな」という願いを込めて、男性ボーカルの仕上がりにしてみました。
時間の都合でMV(ミュージックビデオ)までは作れませんでしたが、それでも音楽を通して「わたしたちの歩み」を表現できたことは、経営者としても、保育者としても、大きな喜びでした。
保育とAI。まったく異なる世界のように見えるかもしれません。
けれど、どちらも「人に寄り添う」という意味では同じだと思うのです。
AIは、使い方次第で、保育の仕事をもっとラクに、もっと豊かにしてくれるかもしれません。たとえば、業務の効率化、資料づくりのサポート、スタッフの学びの促進…。そして、小学生向けの保育にだって、工夫次第で活用できる。
保育者の役割は、決して「機械の代わりをすること」ではありません。
むしろ、人間にしかできないこと――あたたかさ、直感、共感、そして“まなざし”こそが、これからもっと大切になる時代だと思います。
わたしは、これからもアイエムアイを「人が主役」の場所として育てていきたい。
でも同時に、AIという新しいツールにも心を開いて、よりよい保育のかたちを探っていきたいと思っています。
実際に、アルバイトからスタートして、今では社労士事務所などで活躍しているスタッフもいます。そういう人材をどう育てていくか――。
これからのわたしの役割は、「たくさん雇うこと」ではなく、「今いる人の可能性を広げること」なのかもしれません。
ムーンショット目標のように、夢みたいな話に聞こえるかもしれませんが、「保育士が未来に希望をもてる職場」を目指して、わたしは今日も新しい一歩を考えています。
第6章:保育を超えて──宅建士、警備、そして家族との協働
保育園の経営者としての日々の中で、気づけばいつの間にか「保育だけじゃない仕事」が、わたしのまわりに増えていきました。
そのひとつが、不動産の勉強。
「えっ、保育から不動産へ?」と驚かれることもありますが、わたしの中ではごく自然な流れでした。
保育園を運営していると、施設の管理、契約、地域との調整など、不動産に関わることがたくさんあります。そして、子どもや保護者にとっての「場所」や「空間」は、とても大切な要素です。
そこで思ったのです。
「保育の経験に、不動産の知識が加われば、もっといいサービスができるかもしれない」
そんな想いから、宅地建物取引士、いわゆる“宅建士”の資格取得に挑戦しました。
勉強は決して簡単ではなく、2年間コツコツと取り組んでようやく合格。
登録実務講習を終え、宅建士証を受け取ったときは、本当にうれしかったです。
試験会場を出て、街を見渡した瞬間、世界が少しだけキラキラして見えたのを覚えています。
新しい分野に飛び込むことは、いつだって不安がつきものです。
でも、「知っている世界がすべてじゃない」と思えるようになると、可能性がどんどん広がっていく気がしました。
そしてもうひとつ、わたしにとって大きな「もうひとつの顔」があります。
それが、警備の仕事。
実は現在、妹と一緒に、札幌市内の体育館での警備業務にも関わっています。
日によっては、朝から晩まで現場に立つことも。保育とはまったく違う緊張感がありますが、人を守るという点では共通している部分も多いのです。
わたしが警備の現場に入るのは、妹の働きすぎを少しでもサポートしたいという想いもあります。
彼女もまた、宅建士試験に挑戦していて、保育と警備の両立は本当に大変。だから、できるときには助け合いたい。
そう、わたしたちは「家族ぐるみで働いている」のです。
アイエムアイの中には、わたしの姉がデザインした採用ポスターがあったり、妹がスタッフのシフトを支えてくれたり…。
もちろん、仕事はプロとしてきっちり分けていますが、「身近な人と手を取り合って働く」ことの温かさと力強さを、わたしは信じています。
わたしが創業したころは、ただ「保育士が働きやすい場所をつくりたい」と思っていたけれど、今は、もっと広い視野で「人が生きやすくなる仕組み」を考えるようになりました。
保育も、不動産も、警備も、ぜんぶ「人のため」の仕事。
そして、誰かと力を合わせて挑戦していく中で、「本当のチーム」というものが育っていくのだと感じています。
ひとつの肩書きにしばられず、必要なことに柔軟に手を伸ばしていく。
これが、わたしの「新しい働き方」のスタイルかもしれません。
第7章:成長する子どもたち、そして未来へ
ある年の年末、なるなるに懐かしい顔ぶれが揃いました。
高校生になった“なるなるっ子”たちが、年末のご挨拶に訪れてくれたのです。
「先生、覚えてる?」
「ここで遊んでたこと、今でもはっきり思い出せるよ」
制服姿がまぶしく、少し照れくさそうに笑う彼らは、かつてわたしたちが毎日のように抱っこし、おんぶし、ともに過ごした子どもたちです。
10代の頃のわたしなら、通っていた保育園に何年も経ってから顔を出すなんて、とてもできなかったと思います。でも彼らは違いました。まるでふるさとのように、なるなるを覚えていてくれていたのです。
わたしはその姿を見て、胸がいっぱいになりました。
保育の仕事をしていて、最も幸せな瞬間のひとつは、「子どもたちの“その後”に出会えること」です。
それは、日々の保育の延長線上にしか存在しない、特別なごほうびのようなもの。
最近では、小学生のMちゃんのバレエ発表会にも行かせていただきました。
赤ちゃんの頃、ママから離れられず泣いていたあの子が、今はステージで自信に満ちた笑顔を見せていました。
「忙しかったら、別に来なくてもいいですよ」と、わたしの忙しさを思いやって書かれたMちゃんの手紙には、やさしさと成長が詰まっていて、思わず泣きそうになりました。
子どもたちの成長は、早いです。
ほんの数年で、びっくりするほど変わります。
でも、変わらないものもあるんです。
それは、子どもたちの中に、保育園での記憶が“あたたかな思い出”として残っていること。
そして、そこに関わった大人たちの存在が、“自分を支えてくれる安心の記憶”として刻まれていること。
なるなるでの日々は、毎日が慌ただしく、笑って泣いて、走り回って…の繰り返しです。
でも、そうやって積み重ねた時間が、たしかに「未来を支える力」になる。
そう思うと、保育という仕事がどれほど意味のあることか、改めて感じます。
卒園しても、引っ越しても、時間がたっても、
「あの場所に、あの先生がいた」
そんな記憶が、人生の中で何度も子どもたちを支えてくれるとしたら――。
それは、保育士として何よりの誇りです。
保育は、未来への贈り物。
そして、いつかその贈り物が返ってくる日があるということを、なるなるでの毎日が教えてくれています。
エピローグ:ソラになりたい──すべてを包む存在へ
20歳の頃、わたしは一曲の歌を作りました。
タイトルは「ソラ」。
君の隣にいたボクは、空になるよ
その方がよく見える
ソラになりたい
大きなソラ みんなを包み
悲しみも全部 包み込んで
この歌は、当時わたしが出会った、1歳の女の子との日々のなかで生まれました。
彼女の手のひらから香る、ほんのりした“はちみつ”のような匂い。
その香りは、わたしにとって「人を想うことのやさしさ」そのものでした。
保育士として働く中で、いろんなことにぶつかりました。
理想と現実。喜びと葛藤。
でも、そのすべてが、この“ソラ”という言葉に、今は集約されているように感じます。
ソラは、高く広がって、すべてを見渡すことができる。
誰かの近くにいながら、押しつけることなく、そっと包み込むような存在。
わたしは、そんなふうに生きたいと思いました。
保育士として、経営者として、そして一人の女性として――
わたしが目指してきたのは、きっと「ソラになること」だったのだと思います。
泣いている子どもにそっと寄り添い、
忙しそうな保護者の話に耳を傾け、
疲れているスタッフの背中をそっと押す。
そんな日々の積み重ねが、いつか大きな空のように、
誰かの心をそっと守る存在になれるなら――
それが、わたしのいちばんの幸せです。
今、このエッセイを読んでくださっているあなたが、
「これから保育士になりたい」と思ってくれているなら、どうか伝えたいことがあります。
保育の仕事は、決して楽な道ではありません。
泣き声に向き合う日も、うまくいかない日もあります。
それでも、そこには“確かな意味”があります。
あなたの笑顔が、子どもの未来を変えるかもしれません。
あなたのひと言が、保護者の明日を支えるかもしれません。
あなたのまなざしが、誰かの人生の記憶になるかもしれません。
だから、どうか信じてほしいのです。
あなたが今思い描いている「保育士になりたい」という気持ちを。
わたしは今日も、保育の現場で空を見上げながら思います。
「まだまだ、やれることがある」
ソラになりたい。
誰かを包みこむ大きな空に。
そんな想いを胸に、これからも、歩んでいこうと思います。