初めに私の考え方をここで明らかにしておく。
私は、未来は確定的ではない。常に可変的で、いうなれば多元世界的な展開を示しているものと考えている。
そして、世界各地にある予言。それは「祈り」であり、人々の願いを明文化したものであり、ある方向性を未来に与えたいがために投じられた「一石」なのではないか、と私は仮定している。
ある一人の強烈な願い、呪詛とも呼ぶべき予言があるかと思えば、その時代の民衆の雰囲気を感覚のいい人がとらえてそれを文字に記したものもある。「予言」と一言でいっても、その中には実に様々なものが含まれているのだ。
なので私は、未来が運命のようにあらかじめ決まっているとする予定説・運命確定論には否定的だ。しかし、かといってすべてが不確定で流動的かというと、それにも組みしない。
私は人知を超えた大きな流れには畏怖の念を抱きつつも、自らの努力をベースにより良き未来を目指していく――これが私にできることではないかと思っている。
そこで、以上の私の立場から、「スピリチュアル」と世間で言われている「予言」について最新の情報をリサーチしたうえで、現代における予言の意義を私なりに検証してみたい。
ミシェル・ド・ノートルダム(1503–1566)
16世紀に活躍したノストラダムス(ミシェル・ド・ノートルダム, 1503–1566)は、フランスの占星術師・医師であり、彼の著した『予言集(Les Propheties、通称『諸世紀』)』は世界中で広く読まれてきた有名な予言書である[1]。1555年に初版が刊行された『予言集』には四行詩(四行から成る謎めいた詩)形式の予言が約950篇収録されており、それらは10巻(各100篇ずつ、ただし第7巻のみ42篇)に分けられている[2][1]。
その内容は極めて曖昧で象徴的なため解釈の幅が広く、後世の様々な出来事に後付けで結び付けられてきたことが特徴である[1]。例えば熱心な信奉者たちは、ノストラダムスがその詩の中でフランス国王アンリ2世の事故死、フランス革命、イギリスの国際的覇権、ヒトラーの台頭(詩中の“Hister”をヒトラーの暗示と解釈)、広島・長崎への原爆投下、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディ暗殺など、歴史上の様々な出来事を言い当てていたのだと主張している[3][4]。
こうした「的中例」の真偽はともかく、ノストラダムスの予言は450年以上経った現代でも語り継がれ、多数の版や注釈書が出版され続けている[1]。その人気の背景には、「意味深長で難解な文面が人々の想像力を掻き立てる」ことや、「あらゆる事件の後に都合よくこじつけて予言が当たったと主張できる」ことが指摘されている[1]。まさに予言の内容そのものよりも、人々がそれをどう解釈し信じるかによって命脈を保ってきたと言えるでしょう。
ノストラダムスの予言の中でも特に有名なのが、「1999年7の月に恐怖の大王が空から降ってくるだろう…」とする一節である。これは『予言集』第10巻72番の四行詩(X-72)に当たるもので、原文は以下の通りだ。
ノストラダムスの約950篇に及ぶ予言詩の中で、特定の年や月日を明示しているものはごく僅かだが、その中にあって「1999年7月」という具体的な時期を示したこの予言は際立った存在だった[5]。16世紀に生きたノストラダムスが、自らの死後遥か先の「1999年」という年をわざわざ指定したこともあり、この詩は古くから多くの論争と注目を集めてきたのである。
ではこの“四行詩X-72”が一体何を意味するのか、歴史的にどのように解釈されてきたのかを見てみよう。まず詩中の「恐怖の大王」や「アンゴルモアの大王」とは誰のことかについて、昔から様々な説が唱えられてきた。語感の類似から「アンゴルモア」はモンゴル人を意味する古仏語“Mongolois”のアナグラムだとみなし、モンゴル帝国の王たるチンギス・ハン(成吉思汗)の再来すなわち東方からの侵略を予言したもの、とする読みも古くから存在する[7]。
20世紀後半になると、冷戦下で今度は「モンゴル人=ロシア人」と読み替え、第三次世界大戦におけるソ連(ロシア)軍の空爆ではないかとか、あるいはロシアの宇宙ステーション(ミール)が地球落下してくるシナリオだとか、果ては天体衝突による地球滅亡といった説まで、実にさまざまな想像が飛び交った[9]。解釈する人の先入観次第で如何様にも内容を捻じ曲げて説明できてしまう好例だろう。
そもそも、ノストラダムス本人はこの詩を書いた動機について一切語っていない。しかし現代の研究者の中には、この「1999年7月」という日時設定に着目し、史実としてヨーロッパで1999年8月11日に皆既日食(ユリウス暦では7月29日)が起こることをノストラダムスが知っていた可能性を指摘する者がいる[11]。つまり、この詩は未来そのものというより「1999年の夏には恐ろしい天変地異が起こるかもしれない」という警鐘であり、いわば16世紀人ノストラダムスが遠い未来に向けて投じた、一種のメッセージだった可能性も考えられるのだ。
日本では1973年に作家の五島勉氏が著書『ノストラダムスの大予言』の中で「1999年7月に人類滅亡が起こる」と紹介した[12]。この本は高度経済成長の陰で公害や核戦争など将来への不安が高まっていた世相に衝撃を与え、ミリオンセラーとなる社会現象を引き起こしたのである。
やがて1990年代も末に差し掛かると、“1999年7月”が近づいていることへの緊張感が世界的にも話題となった。世論調査によれば1999年当時、実に日本人の2割から4割が「この予言には何らかの真実がある」と信じていたという[14]。一方で、新興宗教の中には自らを「恐怖の大王」と称して信者を集めるカルト教団も現れた[17]。1995年に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の麻原彰晃もその一人で、彼はノストラダムス終末論に心酔するあまり自らハルマゲドンを引き起こそうと企てたといわれる[18]。
では迎えた1999年7月、予言された「空から降る恐怖の大王」とは何だったのだろうか? 結論から言えば、それまで様々に噂されたような世界滅亡級の出来事は幸いにして起こらなかった。人類は無事に20世紀の最後の年を乗り切ったのである。
振り返ってみれば、あの予言詩X-72は結局のところ「何も起きなかった」わけだが、この結果について人々は様々な解釈を試みている。逆説的に、「何も起きなかった」ことこそが予言の効力だったという捉え方もできるかもしれない。もし予言というものが未来を固定する石板ではなく「人々に働きかけ未来を変えるための一石」なのだとしたら、ノストラダムスのこの大予言は見事に目的を果たしたとも言えるのではないだろうか。あれほど多くの人々が世界の終末に思いを巡らせ、戦争や環境破壊を思い留まるよう自省した結果、最悪の事態が回避された――少なくとも予言が有名無実化するほどに平和と秩序が保たれたのだと考えれば、むしろ喜ぶべき結末だったとも言えるのである。
改めて「現代における予言の意義」について私なりに考察してみたい。私は予言を「未来への祈りやメッセージ」だと捉えている。予言は使い方次第で良薬にも毒にもなる諸刃の剣だ。現代に生きる私たちは、予言を単なる迷信として切り捨てるのではなく、かといって盲信することもなく、その背景にあるメッセージを読み取り未来への教訓とする――そんな付き合い方が求められているのではないかと思う。
不確実な未来に対する漠然たる不安と、どうにか先を知りたい・コントロールしたいという願望。それが人々をして予言という「物語」に耳を傾けさせる。だからこそ予言者たちは古来より、「言葉の力」で未来のビジョンを提示してきたのではないだろうか。
ノストラダムスの『諸世紀』は一見すると恐ろしい黙示録のようでいて、その実、解釈する人間の心を映し出す鏡の書であった。その現代的意義とはまさに、未来は決して一枚岩ではなく、我々の選択や意志によって良くも悪くも変えうる――そのことを教えてくれる点にあるのではないか。予言は未来からの絶対的な通告ではなく、現在を生きる私たちへの問いかけであり警鐘であり、そして祈りでもある。私たちは改めてそうした予言との向き合い方を学び、来たるべき未来を自分たちの手で切り拓いていくべきなのだ。