近未来小説

2035年
ソーシャルシティ札幌

北川 仁美

【あらすじ】

札幌市役所のエリート職員・斎藤典久、46歳。AIが行政を変え、人間の仕事が急速に姿を消していく時代。

「このままでいいのか…?」

そんな彼の心を揺さぶったのは、一人の女性との出会いだった。社会の分断が進み、孤独死が急増し、AIがすべてを判断する未来に、人間にしかできない“つながり”を取り戻そうとする男の決断。

彼が起業したのは、人と人を結ぶ小さな光「ユクスル」。ベーシックインカム、AGIの台頭、多文化共生——10年後、札幌は“ソーシャルシティ”へと生まれ変わる。

これは、テクノロジーが進化する時代に、「人間らしさ」を問い直す一人の男の物語。

1 冬の市役所(2025)

2025年。札幌は人口約195万の大都市でありながら、北国らしい自然と都市機能の調和を誇っていた。市はエコ首都宣言以来、SDGs未来都市計画に基づくCO₂削減や公共交通のアクセス改善など、持続可能なまちづくりを推進している。その中心に立つのが札幌市役所であり、斎藤典久(さいとう・のりひさ)はそこで「エリート」と評される企画課長として働いていた。

斎藤は46歳。大学卒業後に入庁し、市の都市計画に携わってきた。札幌は人口減少の波を感じ始めており、2025年時点で日本の労働年齢人口は約6082万人と、2017年の6530万人から大きく減っている。市ではAIや自動化による業務効率化が急務となり、斎藤の部署でも行政手続きのAI化プロジェクトが進んでいた。

市役所の食堂では、同僚たちが「近い将来、公務員の仕事が半分になるらしい」と囁き合っていた。実際、日本は2030年までに既存業務の27%を自動化する計画があり、多くの仕事が代替される可能性があるとの報告が出ている。しかも日本の仕事時間の半分以上は反復作業で、そのうち三分の二は機械化可能だと言われていた。斎藤は「公務員大失業時代」という言葉を冗談にできなくなりつつあった。

2 北川との出会い

そんな折、彼は「北川総合研究所」が主催するソーシャルビジネス講演会に参加する。講師は北川仁美、40代半ばの柔らかな笑顔の女性だった。彼女は「ソーシャルビジネスは公務員のための言葉かもしれない」と語った。多くの公務員が人々の役に立ちたいという熱い思いを持ちながら、職場の人間関係や事務作業の重圧でくすぶっている。時代の流れとともに、こうした人材が民間で活躍する時代が必ず来る、と。

講演後の懇親会で斎藤が北川に近づくと、彼女はいきなり質問した。

「斎藤さん、公務員になったきっかけを覚えていますか?」

斎藤は戸惑いながらも、2011年に東日本大震災の報道を見て、「行政の力で人々の暮らしを守りたい」と思った日を思い出した。しかし、20年のキャリアの中で、その情熱は組織の中で摩耗し始めていた。

北川は笑った。「あなたの燃える心は消えていませんよ。社会はこれから大きく変わります。AIが行政の単純作業を肩代わりし、公務員の役割は人間性に基づく領域へ移行します。公務員が民間に出てソーシャルビジネスを起こすことも当たり前になるでしょう。いま準備しておけば、必ず役に立ちます。」

斎藤はその言葉に心を突き動かされる。北川は、札幌が2030年にCO₂排出量55%削減を目指す環境都市として、全国から注目されていることを教えてくれた。また、2022年には日本が推計より2年早く多死社会に突入し、2023年の死亡数は157万5936人と過去最多を更新した。高齢者人口が増え、若年層は減り続けており、行政サービスは未曽有のニーズにさらされる。こうした状況では公務員の仕事だけで支えるのは難しく、民間の知恵が不可欠になると北川は語った。

3 揺れる職場(2026–2029)

2026年、札幌市は市役所内のAI活用を本格化させた。住民票発行や税金の計算、入札審査などは高性能な言語モデルが自動で処理し、斎藤の部署はシステム監督と市民対応が中心になった。

この頃、日本全体で外国人労働者の数が急増していた。2008年には約50万人だった外国人労働者は2024年には230万人へと4倍に増え、その多くが製造業やサービス業に従事していた。彼らの出身国はベトナムが25%、中国が18%と大きな割合を占める。しかし、外国人労働者は人口の2%に過ぎず、労働力全体でも2%程度である。労働力不足を補うため、政府はさらなる受け入れ拡大を進め、街の警備や介護の現場でも外国人が働く姿が目立つようになった。

斎藤は、市役所前の警備員がベトナムからの技能実習生に替わっていたことに気づく。彼らは真面目に働いていたが、地域住民からは「外国人に仕事を奪われるのでは」と不安の声も上がっていた。斎藤は北川の言葉を思い出し、外国人との共生も市の課題だと感じた。

2028年になると、斎藤の部署では生成AIが政策文書の初稿を作成し、職員が修正する仕組みが定着した。AIは膨大なデータを短時間で分析し、過去の議会答弁や法律を引用しながら文書を作るため、作業時間が大幅に短縮された。しかし、斎藤は「機械に任せればいい仕事」と「人間でなければできない仕事」の境界が曖昧になる不安を覚えた。

4 AGIの到来と決断(2030)

2030年、世界は激震に包まれる。メディアが「AGI到来」と報じ、世界的なAIフォーラムの専門家たちの平均予測が、50年後からわずか5年後へと大幅に短縮されたというグラフが話題になった。専門家の約3割が、2030年代初頭にAGIが現れると考えていることが明らかになり、斎藤のスマートウォッチもAIからのアラートを受け取った。

市役所では、人間を支援する新世代のAGIが導入され、政策形成や地域計画の案出しにまで関与し始めた。AGIは自ら学習を繰り返し、人口動態や交通流、観光客の動向をリアルタイムで分析した上で、最適なインフラ整備や福祉施策を提案する。斎藤はAGIの提案を理解するためにデータサイエンスの研修を受けるが、次第に「自分が決めなくてもAIが提案する時代」に戸惑いを覚えた。

同時期、海外で活躍していたAI研究者たちが、超知能(ASI)の可能性を熱く語り始める。1965年に数学者アイ・ジェイ・グッドが「超知能機械が誕生すれば、その機械は自らを改善することで『知能爆発』を引き起こし、人間の知性は置き去りになるだろう」と述べたことや、1993年に作家ヴァーナー・ヴィンジが「技術的特異点が2030年以前に訪れるかもしれない」と予測したことが再び注目された。

斎藤は、市役所の同期が次々と民間に転職し始めたことを知る。AIの導入で職員が半減する噂が現実味を帯び、優秀な職員ほどリスクを取って起業や転職に踏み出していた。斎藤も悩んだ末に決断する。「公務員として生きるのではなく、社会のために自分の力を使おう」と。北川に相談すると、彼女は静かに頷いた。

「斎藤さん、いまが潮時です。あなたには人と人をつなぐ力がある。AIが万能になっても、人間の温かさは必要です。ソーシャルビジネスはそれを形にする場所ですよ。」

こうして斎藤は市役所を退職し、長年貯めた退職金と、国が検討していた月額10万円のベーシックインカムが開始されるのを見越して、起業に踏み出した。

5 ソーシャルビジネスの船出(2031–2033)

斎藤が立ち上げたのは「ユクスル(Yuxuru)」という、札幌と地方を結ぶオンライン・コミュニティ事業だった。アイヌ語の「結ぶ」に由来するこの会社は、多死社会で孤立する高齢者と、都市部の若者や外国人労働者をマッチングし、オンラインとリアルの交流を促進するサービスを提供した。

多死社会では、葬儀や遺品整理、孤独死の後処理など、従来の自治体サービスでは対応しきれない問題が山積していた。ユクスルは、北川総合研究所が開発したAIシステムを活用し、亡くなった人のデジタル遺品整理や家族への通知、コミュニティによる追悼支援を提供した。さらに、外国人労働者や若者が高齢者の家庭に週に数回訪問し、日本語と母国語で会話するサービスも実施した。AIが翻訳をサポートし、文化の橋渡しを担った。

2032年にはAGIが自己改善を繰り返し、ASI(人工超知能)の兆候を見せ始める。海外ではASIが新薬開発や気候予測を瞬時に行い、テクノロジーの進化を爆発的に加速させていた。この頃には日本政府もようやくベーシックインカムを試験的に導入し、物価安定時には国民一人当たり月10万円を支給する制度を開始した。斎藤はベーシックインカムを創業資金の補填に充て、ユクスルのサービスを無料または低料金で提供できるようになった。

6 競争と共生(2033–2035)

2033年、札幌の就労市場は一変していた。AIとロボットが道路清掃や税務審査を担当し、行政職員は政策企画や危機管理など、人間の判断が求められる分野にシフトした。市役所の職員数は2019年比で約半分になったが、残った職員は高い専門性とコミュニケーション能力を持つ人材ばかりだった。

一方、外国人労働者は建設現場や介護施設だけでなく、警備やコンビニ、オンライン・サポートなど幅広い仕事に就いていた。斎藤の友人である元警備員の田村は、AIロボットに仕事を奪われたと言っていたが、ユクスルで高齢者の話し相手になったことで「人と話すことが仕事になるなんて」と笑っていた。

市内では、外国人労働者と日本人の間で賃金や職場環境を巡る摩擦も起きた。しかし、ユクスルが提供する多文化交流の場では、ベトナム出身の青年と札幌の高齢者が一緒に鮭のちゃんちゃん焼きを作ったり、雪祭りの雪像づくりに参加したりする光景が見られた。人と人が向き合えば、誤解や不安は和らぐ。斎藤はAIが翻訳やスケジュール管理を担うことで、人間同士が純粋な対話に専念できるようになったことを実感した。

2035年。札幌の中心部には、ユクスルのコミュニティスペース「ソーシャルシティ札幌」が開設された。そこでは、引退した公務員や外国人、学生が集まり、空き家を活用したシェアキッチンや小さな図書館、遺品のリサイクルショップが運営されている。壁には市の環境目標達成を祝うポスターが貼られ、2030年までにCO₂排出量55%削減を達成したことを伝えていた。

斎藤は北川と並んで、開業5周年記念のスピーチをした。

「10年前、私は市役所の中で迷子になっていました。仕事は多く、人は減り、AIが台頭し、外国人の姿が増え、年老いた親たちが亡くなっていく――そんな混沌の中で、北川さんの言葉に背中を押され、公務員を辞めました。AGIやASIが登場する時代に、私たち人間は何をすべきか。それは、人間らしさを取り戻し、支え合うことだと思います。」

聴衆の中には、かつての市役所仲間や北川総研の研究者、外国人スタッフ、高齢者たちがいた。斎藤は彼らの目を見渡しながら続けた。

「AIが作り出す未来は素晴らしい可能性を秘めています。しかし、その未来を温かいものにするのは、私たち人間の選択です。誰もが基本的な収入を得られる社会で、私たちは互いに支え合うコミュニティを築いていく。それが『ソーシャルシティ札幌』の夢です。」

スピーチが終わると、雪の街に拍手が響いた。外は夕暮れ。斎藤は息を吐き、冷たい空気の中に白い息を漂わせながら、10年前には想像もしなかった未来を感じていた。

NotebookLMによる音声解説
解説と背景データ(クリックして表示)
  • 労働年齢人口の減少と自動化に関する予測(IndustryWired)
  • AGI(汎用人工知能)および技術的特異点に関する予測(80000hours.org, Wikipedia)
  • 札幌市のSDGs未来都市計画とCO₂削減目標(Convention Sapporo)
  • 多死社会の到来と死亡数の推移(Wikipedia)
  • 外国人労働者の増加推移と現状(AMRO)

※この物語は、上記のデータや予測に基づきながら、公務員がソーシャルビジネスを起こす未来の札幌を描いた実験的な作品です。