まえがき
この本は、「面会交流」という言葉に、まだ少し身構えてしまう人に向けて書きました。制度の本ではありません。正しさを競う本でもありません。ましてや、誰かを説得するための本でもありません。
世界のあちこちで、親が別れたあとも、子どもとの関係を切らずに生きてきた人たちの小さな、けれど確かな「いい話」を集めた一冊です。
思い返せば、私たち一般社団法人アイエムアイは、コロナ禍という、人と人との交流が極端に制限された時期でさえ、「面会交流は止めてはいけない」と訴え、実施を継続してきました。感染への不安。社会的な緊張。あらゆる活動が縮小される中で、それでも私たちは、面会交流だけは「不要不急」にしてはいけないと考えました。
今振り返ると、それは理屈から出た判断ではなかったように思います。ただ、家族の流れを止めてはいけないという感覚が、私たちの中にあったのだと思います。親が別れることと、子どもが親を失うことは、本来、同じではない。でも現実には、その二つが、いつの間にか一緒に扱われてしまう場面があまりにも多い。
この本に登場する世界の「いい話」たちは、そのことを、声高に主張することなく、静かに教えてくれます。夫婦の問題と、子どもの問題は、別のものなのだということ。たとえ大人同士の関係が壊れても、子どもが誰かとの関係まで失わなくていいということ。もしこの本を読み終えたとき、そのことが「なんとなく、わかってきた気がする」と感じてもらえたなら、それだけでこの本を書く意味は、十分にあったのだと思います。
この本に、答えはありません。あるのは、世界のさまざまな場所で、迷いながら、立ち止まりながら、それでも関係を切らずに生きてきた人たちの姿だけです。どうか、ご自身のペースで、ページをめくってください。そして、どこか一つでも、心に残る話があれば、それがあなたやあなたの大切な人の未来の選択を、ほんの少しやわらかくすることを願っています。
北川 仁美
序章
世界の「面会交流」を行っている国・文化圏|俯瞰リスト
※ここでいう「面会交流」は、離婚・別居後も、子どもが両親と関係を持ち続けることを社会として支える仕組み という広い意味で整理します。本書で取り上げられなかった国も含みます。
① 北欧(スウェーデン・ノルウェー・デンマーク・フィンランド)
- 面会交流は前提であり、議論の対象ですらない
- 「共同養育(Joint Parenting)」が文化として根づいている
- 子どもは「一つの家」ではなく「二つの家」を持つ感覚
代表国:🇸🇪 スウェーデン / 🇳🇴 ノルウェー / 🇩🇰 デンマーク / 🇫🇮 フィンランド
② 英語圏(イギリス・アメリカ・カナダ・オーストラリア)
- 面会交流は子どもの権利として明文化
- 「Visitation」→「Parenting Time」への言葉の進化
- 支援機関・NPO・専門職が豊富
代表国:🇬🇧 イギリス / 🇺🇸 アメリカ / 🇨🇦 カナダ / 🇦🇺 オーストラリア
③ 西・北ヨーロッパ(フランス・ドイツ・オランダなど)
- 家族法が整備され、国家が子どもの関係性を守る
- 面会交流は「親の善意」ではなく社会の責任
- 行政・裁判・福祉が連携
代表国:🇫🇷 フランス / 🇩🇪 ドイツ / 🇳🇱 オランダ / 🇧🇪 ベルギー
④ 南欧・ラテン系(イタリア・スペインなど)
- 家族の結びつきが非常に強い
- 感情的だが、子ども中心の価値観は強固
- 実務は混沌としていても「会わせる」方向に寄る
代表国:🇮🇹 イタリア / 🇪🇸 スペイン
⑤ アジア(韓国・台湾など)
- 日本と似た「家族観」からの変化途上
- 近年、法改正・意識改革が急速
- 日本人は自分ごととして読める
代表国:🇰🇷 韓国 / 🇹🇼 台湾
⑥ 日本
- 面会交流は「努力義務」「合意次第」
- 文化的にはまだ“特別なこと”
- しかし、現場にはたくさんのいい話が眠っている
Story
本編
イギリス編
第1話 父と娘をつないだ、たった一冊のノート
――イギリスの面会交流の現場から――
最初の面会交流の日、父は、何を話せばいいのかわからなかった。
娘も同じだったと思う。小さな部屋の中で、二人は向かい合って座っていたけれど、視線は一度も合わなかった。
部屋の端には、面会交流を見守る支援員がいた。
彼女は、無理に会話を促さなかった。代わりに、机の上に一冊のノートを置いた。
「今日は、話さなくていいですよ」
そう言って、静かに席を外した。
ノートは、まっさらだった。白いページが、かえって二人を緊張させた。
父は、しばらく迷ったあと、鉛筆で短い一文を書いた。
「今日は少し寒いね」
それだけだった。
娘は、すぐにはノートを見なかった。
でも、父が帰ったあと、そっとページを開いた。
次の面会の日。父は、前回のページの下に、小さな絵を描いた。
曇り空と、コートを着た二人の棒人間。
娘は、ページの余白に、丸いシールを一つ貼った。
それが、最初の“会話”だった。
その後、ノートは少しずつ厚みを増していった。
天気の話。
学校であったこと。
好きな色。
嫌いな給食。
言葉は少なく、沈黙のほうが多かったけれど、ページをめくるたびに、二人の距離は、ほんの少しずつ縮まっていった。
支援員は、何も指示しなかった。ノートを回収することも、内容を評価することもなかった。
ただ、同じ時間、同じ場所で、ノートが行き来することだけを守り続けた。
数か月が過ぎた頃、父は、いつものようにページをめくり、そこで手が止まった。
娘の字で、こう書かれていた。
「また来てもいい?」
短い一文だった。
でも、それは“次も続いていい関係”であることを娘自身が選んだ、はじめての言葉だった。
父は、その場で何も書けなかった。
支援員に気づかれないように、深く息をついた。
次のページには、震える字で、こう書いた。
「もちろんだよ」
イギリスの面会交流の現場では、こうした小さな出来事が、特別なこととして扱われない。
誰かが劇的に救うわけでもない。無理に仲直りさせるわけでもない。
ただ、関係が育つための“余白”を、社会がそっと用意する。
それだけだ。
この父と娘が、その後どんな関係を築いていったのか。
それは、私たちにはわからない。けれど、少なくともこのノートは、「もう一度つながってもいい」という可能性を、確かに二人の間に残した。
たった一冊のノートが、人と人の関係を、壊さずに守ることがある。
面会交流とは、そのための時間なのだと、この国は、静かに教えてくれる。
第2話 同じ部屋で、少し離れて
――会わせない配慮が守った時間――
その子は、部屋に入るとすぐ、いちばん奥の椅子に座った。
父は、反対側の壁際に案内された。二人のあいだには、机もなく、ただ、距離だけがあった。
同じ部屋にいる。でも、同じ時間を共有しているとは、まだ言えない距離だった。
面会交流の開始を告げる合図はなかった。支援員は、ただ静かに言った。
「今日は、ここにいるだけで大丈夫です」
父はうなずいた。子どものほうを見ようとしなかった。視線を落とし、手を膝の上に置いた。
子どもは、父の存在を“見ないこと”でやり過ごしていた。
それは拒絶ではなく、自分を守るための姿勢だった。
この面会交流では、会話は求められていなかった。遊びも、約束も、強要されない。
同じ部屋で、それぞれが、ただ過ごす。
最初の数か月、何も変わらなかった。
父は毎回、同じ椅子に座り、同じ姿勢で時間を過ごした。
子どもは、同じ方向を向き、一度も振り返らなかった。
支援員は、「進展がないですね」とは言わなかった。「まだ早いですね」とも言わなかった。
この時間は、“前に進むための時間”ではなく、“安全であることを確かめる時間”だったからだ。
ある日、支援員が気づいた。
子どもの椅子の向きが、ほんの少しだけ変わっていた。
父のほうを見ているわけではない。でも、完全に背を向けてもいなかった。
その日も、誰も何も言わなかった。
次の月。子どもは、父と同じテーブルの端に座った。
距離はまだあった。視線も合わなかった。
でも、「同じ空間にいる」という感覚が、前よりも、はっきりしていた。
父は、その変化に気づいていた。でも、喜びを表に出さなかった。
ここで急ぐと、すべてが元に戻ってしまうことを、彼自身が、よく知っていた。
その日、帰り際に、子どもが小さく言った。
「今日は、ここに座った」
それは報告のようで、確認のようでもあった。
父は、「そうだね」とだけ答えた。
イギリスの面会交流の現場では、こうした“動かない時間”が、失敗として扱われることはない。
会わせないことも、話させないことも、ときには、関係を守る支援になる。
子どもが自分の足で、一歩を選ぶまで、大人は、待つ。
同じ部屋で、少し離れて。
その距離が、いつか縮まることを、誰も急がなかったからこそ、関係は、壊れずに残った。
面会交流とは、会うことそのものではなく、会える可能性を、奪わないことなのだと、この国は、静かに示している。
フランス編
第1話 離婚しても、家族であり続けるという約束
その家では、誕生日の朝になると、テーブルが少し大きくなった。
離婚してから、もう三年が経っていた。父と母は、同じ家には住んでいない。
それでも、その日は、二人ともそこにいた。
子どもの誕生日だからだ。
ケーキは、母が選んだ。ろうそくの本数は、父が数えた。
どちらが主役ということもなく、二人は、ごく自然に役割を分け合っていた。
フランスでは、こうした光景は、特別なものではない。
離婚は、夫婦関係の終わりを意味するが、親であることの終わりを意味しない。
だから、子どもに関わる時間だけは、「一緒にいる」という選択肢が、最初から残されている。
この家でも、離婚のときに、両親は一つの約束をした。
——子どもの前では、家族であり続けること。
簡単な約束ではなかった。
感情がぶつかる日も、意見が合わないことも、当然あった。
それでも二人は、「今日は会わない」という判断よりも、「どうすれば一緒にいられるか」を、先に考えるようにしてきた。
学校の発表会。
運動会。
誕生日。
そのたびに、同じ場所に立つ。
子どもは、父と母が同じ空間にいることを、当たり前のこととして受け取っていた。
どちらかを選ぶ必要はない。どちらかに遠慮する必要もない。
父と母は、それぞれ別の人生を歩んでいる。
でも、子どもに関する時間だけは、交差する。
フランスでは、それを無理だとは言わない。
「別れたのだから、距離を取るべきだ」
という考えよりも、
「子どもの時間は、親の都合より大切だ」
という感覚のほうが、ずっと自然だからだ。
ケーキを切り分けたあと、子どもが言った。
「来年も、同じケーキがいい」
父と母は、顔を見合わせて、小さく笑った。
それは、特別な愛情表現ではない。
でも、安心の表れだった。
離婚しても、家族であり続ける。
フランスの面会交流は、その言葉を、制度として押しつけるのではなく、生活の前提として置いている。
だからこそ、子どもは、分断されない。
別々に生きる大人たちのあいだで、ひとりで橋を渡らされることもない。
同じテーブルに並ぶ時間が、年に数回でもあるということ。
それだけで、子どもの世界は、ずっと安定する。
フランスは、そう信じている。
第2話 「会う? 会わない?」を決めたのは、子どもだった
その問いは、大人たちから出たものではなかった。
「今度は、どうしたい?」
母がそう聞いたとき、子どもは少し考えてから答えた。
「今月は、会わなくていい」
その言葉に、部屋の空気が一瞬、止まった。父の顔が浮かんだ。がっかりするだろうか。傷つくだろうか。
でも、母はすぐに否定しなかった。理由も、説明も、求めなかった。
「わかった」とだけ言った。
フランスでは、面会交流の頻度や形を決めるとき、子どもの意思が丁寧に扱われる。それは、子どもにすべてを背負わせるという意味ではない。むしろ逆だ。
子どもが感じている負担を、大人が引き受けるために、まず“声”を聞く。
この家庭でも、父と母は離婚後に何度も話し合ってきた。会うことが子どもにとって楽しい日もあれば、心が疲れてしまう日もある。それを「約束だから」「決まりだから」と押し通すことはしなかった。
「今は、少し休みたい」――その感覚を、わがままだとは呼ばない。
数か月後、子どもはまた言った。
「今度は、短い時間なら、会える」
場所はいつものカフェ。時間は一時間だけ。
父はその条件を聞いて、うれしさと同時に責任の重さを感じていた。“会える”ことよりも、“信頼されている”ことのほうが、ずっと大きかったからだ。
その日、二人は長い話をしなかった。ジュースを飲み、外を歩き、道端の犬を眺めた。それだけだった。
帰り際、子どもが言った。
「今日は、ちょうどよかった」
父は「ありがとう」と答えた。それは、会えたことへの感謝ではなく、選ばせてもらえたことへの感謝だった。
フランスの面会交流は、子どもに決断を押しつけない。でも、選ぶ権利を、奪わない。
会うか、会わないか。どのくらいの時間か。どこで過ごすか。
それらは、大人の都合や感情よりも、子どもの“今”を基準に、何度でも見直される。だから、関係は切れない。無理に続けないからこそ、続けたいという気持ちが子どもの中に残る。
フランスでは、面会交流は「守らせるもの」ではなく、育っていくものだと考えられている。その成長の速度を決めるのは、いつも子どもなのだ。
ドイツ編
第1話 「会わない」という選択も、尊重された
その子は、きっぱりと、そう言った。
「今は、会わない」
大人たちは、その言葉を聞いて、顔を見合わせた。父の表情は、わずかにこわばった。拒絶されたように感じたのかもしれない。でも、誰も、その言葉を打ち消そうとはしなかった。
ドイツでは、面会交流の場で、子どもの意思は曖昧なものとして扱われない。「まだ小さいから」「本当は会いたいはずだ」そんな推測で、言葉を上書きしない。この家庭でも、専門職が静かに確認した。
「今は、そう感じているんだね」
理由を深く掘り下げることも、説得することもなかった。ただ、その意思を、事実として受け取った。
父は、「いつまで?」と聞かなかった。期限を決めることが、子どもを追い詰めることを理解していたからだ。代わりに、一つだけ伝えた。
「君が準備できたら、いつでも、ここにいる」
それは約束というより、状態の宣言だった。
会わない時間は、空白ではなかった。子どもは、学校に通い、友だちと遊び、日常を積み重ねていった。そのあいだ、誰も、関係を断ち切らなかった。
カードが届いた。誕生日の短いメッセージ。返事を求めない、一方通行の言葉。それは、圧力ではなく、存在の証明だった。
数か月後、子どもは言った。
「話すだけなら、いい」
直接会うのではなく、専門職を交えた短い面談。時間も、場所も、きちんと決めた。父は、その条件を、一つも変えようとしなかった。
その日、二人は向かい合って座り、近況を伝え合った。長い話はなかった。感情的なやり取りもなかった。でも、「会わない」という選択の先に、「話す」という選択が、確かに生まれていた。
ドイツの面会交流は、子どもの意思を、感情としてではなく、判断として扱う。だから、尊重する。反対されても、拒まれても、関係そのものを、否定されたとは考えない。
関係は、意思が戻る場所として、静かに保存される。会わないという選択も、関係の一部だ。ドイツは、そう考えている。
急がず、揺らがず、感情に飲み込まれず。子どもが自分のタイミングで戻ってこられるように。そのための空間を、社会が、淡々と守り続けている。
第2話 何も聞かれなかった時間が、心を守った
面会交流の場で、その母は、何度も同じ不安を口にしていた。
「子どもは、本当のことを言っているのでしょうか」
会いたくない、と言う。でも、それは傷つきたくないだけではないのか。大人に気を遣っているのではないのか。母自身が、そうして育ってきたからだ。
ドイツの専門職は、その問いに、すぐには答えなかった。代わりに、こう言った。
「今は、“本当かどうか”を確かめる時間ではありません」
母は、戸惑った。子どもの気持ちを、もっと深く理解しなくていいのか。掘り下げなくていいのか。でも、彼らは続けた。
「気持ちは、聞かれ続けると、守れなくなることがあります」
その子は、面会交流について、ほとんど語らなかった。会いたいとも、会いたくないとも、多くを説明しなかった。大人たちは、理由を集めなかった。分析もしなかった。ただ、「今は、そうなんだね」とだけ、受け取った。
その時間は、沈黙が多かった。でも、誰も焦らなかった。子どもは、何も聞かれない時間の中で、少しずつ、表情を緩めていった。学校の話をした。友だちの話をした。面会交流とは、関係のない話ばかりだった。それでよかった。
数か月後、子どもは、ぽつりと言った。
「前は、何を言っても、決められてしまう気がしていた」
大人たちは、その言葉を、途中で遮らなかった。
「でも、ここでは、言わなくてもいいって、思えた」
それは、感情がほどけた瞬間だった。面会交流の話題は、そのあとで、自然に出てきた。
「短い時間なら、会ってもいい」
誰も、その言葉を、“成果”とは呼ばなかった。でも、守られてきた時間が、確かにそこにあった。
ドイツの面会交流は、感情を刺激しない。問い詰めない。引き出さない。説明させない。その代わりに、感情が壊れない場所を、先につくる。子どもが話し始めたとき、そこにはもう、選択肢が用意されている。
だから、言葉は、武器にならない。安心して、置いていける。
ドイツでは、感情を動かすことよりも、感情が自然に動き出すのを、待つ。それが、遠回りに見えて、いちばん確かな支援だと、信じられている。
カナダ編
第1話 雪の日は、面会日を変えてもいい
その日は、朝から雪が降っていた。カナダでは、雪は特別な出来事ではない。それでも、その日の雪は、少し重たそうに見えた。
父は、窓の外を見ながら、スマートフォンを手に取った。今日は、面会交流の日だった。子どもは、学校のあと、父の家に来る予定になっている。でも、この雪の中を移動するのは、簡単ではない。
父は、迷った末に、短いメッセージを送った。
「今日は雪が強いね。無理しないほうがいいと思う。別の日にしようか?」
すぐに返事は来なかった。しばらくして、母からメッセージが届いた。
「そうだね。今日はやめておこう。子どもも、少し疲れているみたい」
それだけだった。理由の説明も、言い訳もなかった。
面会交流の日を変えることは、失敗でも、裏切りでもない。カナダでは、そう考えられている。大切なのは、“決めた通りにやること”よりも、“続けられる形で続けること”。
この家庭でも、面会交流は、一度決めたら動かせない予定ではなかった。仕事が忙しい週。子どもが体調を崩した日。天候が悪い日。そのたびに、少しずつ、形を変えてきた。それでも、面会交流は、なくならなかった。
むしろ、「無理をしない」という共通理解が、関係を長く保っていた。
翌週、雪がやんだ日。子どもは、父の家で、ホットチョコレートを飲みながら言った。
「この前、来なくてよかった」
父は、少し驚いて、理由を聞いた。
「疲れてたから。でも、来ないって言っても、次があるって、わかってた」
その言葉に、父は、胸が少し温かくなるのを感じた。
カナダの面会交流では、予定よりも、信頼が大切にされる。会えなかった一日よりも、「また会える」という確信。約束を守ることよりも、関係を壊さないこと。
雪の日は、面会日を変えてもいい。それは、特別な配慮ではなく、日常の判断だ。カナダは、そうやって、面会交流を生活の中に、自然に置いている。
第2話 二つの文化のあいだで、ひとつの関係を守る
その子の家では、食卓に並ぶ料理が、日によって変わった。ある日は、父の国のスープ。香辛料の匂いが、部屋に広がる。別の日には、母が慣れ親しんだ家庭料理。やさしい味が、いつもの安心を運んでくる。
父と母は、違う国で育った。言葉も、文化も、家族のかたちも違う。結婚していた頃は、その違いが楽しかった。でも、別れたあと、その違いは、ときどき壁のように感じられた。
面会交流をどうするか。そこでも、考え方の違いが現れた。父は、「決めた時間は守るべきだ」と言い、母は、「子どもの気分を優先したい」と言った。どちらも、間違ってはいなかった。
カナダでは、こうした多文化家庭は、珍しい存在ではない。だから、面会交流の話し合いでも、「どちらの文化が正しいか」を決めようとはしない。代わりに、こう問いかけられる。
「この子にとって、続けやすい形はどれですか」
父と母は、何度も話した。完璧な答えは、見つからなかった。でも、妥協点は、少しずつ見えてきた。時間は、きっちり決めすぎない。でも、なくさない。行事は、どちらの文化のものも、可能な限り共有する。
子どもは、二つの家を行き来しながら、二つの文化を、自然に身につけていった。ある日、子どもが言った。
「どっちの家でも、同じ話をしていいのが、うれしい」
父の家での出来事を、母の家で話す。母の家での出来事を、父の家で話す。それを、誰も止めなかった。
カナダの面会交流では、家を分けても、世界を分けない。文化の違いは、乗り越えるものではなく、並べて置くものだと、考えられている。父と母は、それぞれのやり方で、子どもを大切にしていた。その共通点があれば、違いは、関係を壊す理由にはならない。
多文化社会のカナダでは、面会交流もまた、「一つの正解」を持たない。だからこそ、多様な家族が、無理なく続けていける。二つの文化のあいだで、ひとつの関係を守る。それが、この国の日常だった。
イタリア編
第1話 祖母のキッチンが、面会交流の場所だった
その家のキッチンは、いつもにぎやかだった。鍋が火にかかり、オリーブオイルの香りが広がる。祖母は、しゃべりながら、手を止めない。
「今日は来るの?」そう聞かれて、子どもはうなずいた。
離婚してから、父と母は、顔を合わせると、どうしても言い合いになってしまう。感情が先に立つ。それは、イタリアでは、珍しいことではない。
でも、子どもを会わせない、という選択肢は、この家にはなかった。
「家族は家族でしょう」
祖母は、そう言って、当たり前のように、父を呼び、母を呼び、孫を迎えた。
面会交流は、特別な時間ではなかった。週末の食事の延長だった。
父は、母の顔を見ると、少し緊張した。母も、同じだった。でも、祖母のキッチンでは、感情がぶつかる前に、役割が決まっている。
誰かが皿を並べ、誰かがパンを切り、誰かが子どもに声をかける。話さなくてもいい。仲良くしなくてもいい。ただ、同じ空間にいることだけが、求められていた。
子どもは、父の話も、母の話も、同じテーブルで聞いた。どちらかに気を遣う必要はなかった。祖父母が、その場を“家族の場”として支えてくれていたからだ。
ある日、父と母が、少し声を荒らげた。祖母は、黙って立ち上がり、鍋のふたを開けた。
「スープが冷めるわよ」
それだけで、空気が変わった。
イタリアでは、家族の感情を、無理に整えようとはしない。ぶつかることも、感情的になることも、人間らしさとして、受け入れる。その代わり、子どもを輪の外に出さない。
祖父母は、親同士の関係が壊れても、家族の関係までは壊させなかった。
この家の面会交流は、書類にも、時間割にも、厳密には載っていない。でも、毎週、祖母のキッチンには、人が集まった。
子どもにとって、それは「面会」ではなかった。家族の時間だった。
イタリアでは、面会交流は、制度よりも、血のぬくもりで支えられている。うるさくて、感情的で、完璧ではない。それでも、子どもは、誰からも切り離されない。
祖母のキッチンは、今日も、面会交流の場所であり続けている。
第2話 両親は話さなくても、祖父は話し続けた
父と母は、もう直接、言葉を交わさなくなっていた。離婚のあと、何度も話し合おうとした。でも、そのたびに感情が先に立ち、最後は、互いに黙り込んでしまった。
「話さないほうが、まだましだ」
そう思うようになったのは、二人とも同じだった。それでも、子どもだけは、会わせていた。その役を引き受けたのが、祖父だった。
祖父は、多くを語らない人だった。でも、週に一度、必ず電話をかけた。父にも。母にも。
「日曜は来るか?」
「孫は元気か?」
短い言葉だけだった。
祖父は、調整役を名乗らなかった。説得もしなかった。正しさを語ることもなかった。ただ、家族の流れを止めない人であり続けた。
日曜日になると、祖父の家に、子どもが来た。父が連れてくる日もあれば、母が連れてくる日もある。時間が重なることは、ほとんどなかった。それでも、祖父は、同じテーブルを用意した。
同じ椅子。
同じコップ。
同じ場所。
「ここは、みんなの席だ」
そう言って、笑った。
子どもは、父の話も、母の話も、祖父にした。祖父は、それを、それぞれに、少しずつ伝えた。脚色しない。評価しない。感情を煽らない。
「元気だった」
「学校は順調だ」
それだけで、十分だった。
ある日、子どもが聞いた。
「どうして、パパとママは、話さないの?」
祖父は、少し考えてから、こう答えた。
「話せないこともある。でも、家族じゃなくなるわけじゃない」
その言葉は、説明ではなく、前提だった。
イタリアでは、家族は、会話の上手さでつながっているわけではない。感情が絡まり、言葉がうまく出なくなっても、関係そのものは、簡単には切れない。祖父母は、そのことを、身をもって知っている。
だから、親同士が話せなくても、家族の橋を、静かに保つ。父と母が、直接向き合わなくても、子どもは、誰とも切り離されない。
それは、理想的な形ではないかもしれない。でも、現実の中で、いちばん壊れにくい形だった。
イタリアの面会交流には、完璧さはない。声は大きく、感情は強く、時に、不器用だ。それでも、祖父は今日も、電話をかける。家族の流れを、止めないために。
アメリカ編
第1話 アプリ越しに、父は父であり続けた
父と母は、直接、連絡を取らないことにしていた。離婚のときに、そう決めた。話せば感情がぶつかり、記録に残らない言葉が、あとで問題になる。それを避けるために、二人は、面会交流専用のアプリを使っていた。
予定の確認。引き渡しの時間。体調の連絡。すべて、アプリの中で完結する。そこには、感情をにじませる余地がなかった。
アメリカでは、こうしたツールは珍しくない。極端な対立を、仕組みで分離する。それが、この国のやり方だ。
父は、毎週、決められた時間に、子どもを迎えに行った。会える時間は、限られていた。でも、父は、その時間を無駄にしなかった。宿題を一緒にやり、ゲームをして、夕食を作る。特別なことはしない。“父としての生活”を、そのまま重ねる。
子どもは、ある日、アプリの通知音を聞いて言った。
「パパとママ、いつもこれで話してるの?」
父は、少し考えてから答えた。
「そうだよ。でも、君の話は、ちゃんと直接聞いてる」
それは、線を引くということだった。大人同士の関係と、親子の関係を、混ぜない。
アメリカでは、父親が面会交流の主役になることも、珍しくない。仕事を調整し、家事を覚え、一人で育児を担う。「週末だけの父親」と呼ばれることもある。でも、父自身は、そうは思っていなかった。時間が短くても、責任は同じだ。
アプリは、父と母の距離を保った。でも、父と子どもの距離までは、遠ざけなかった。むしろ、余計な衝突が減った分、父は、父であることに集中できた。
アメリカの面会交流は、ときに冷たく見える。ツールに頼り、線を引き、感情を切り分ける。でも、その極端さは、関係を守るための選択でもある。
父は今日も、アプリで予定を確認し、直接、子どもの目を見て話す。画面の向こうと、目の前。その使い分けが、この国の面会交流を、支えている。
第2話 「週末だけの父親」と呼ばれても
父は、その言葉を、何度も耳にしてきた。
「週末だけの父親」
面会交流で会えるのは、隔週の週末と、短い平日の夜だけ。仕事もある。移動もある。時間は、決して十分ではなかった。それでも父は、その呼び方が、どうしても好きになれなかった。
時間が短いことと、父親であることの重さは、同じではない。
アメリカでは、面会交流の現場で、父親が主役になることが多い。でも同時に、「できて当たり前」という厳しい視線も向けられる。
父は、最初のころ、何もかもが手探りだった。洗濯の仕方。子どもの好み。宿題の進め方。母に聞きたいことは、山ほどあった。でも、直接は聞けない。
代わりに、父は学んだ。育児の動画を見て、地域の父親グループに参加し、失敗を重ねた。
ある週末、子どもが言った。
「ママは、こうやってやってるよ」
父は、少しだけ胸が痛んだ。比べられている、そう感じたからだ。でも、そのあとで、子どもは続けた。
「でも、パパのやり方も、わるくない」
その言葉は、評価ではなかった。認識だった。
父は、母の代わりにはなれない。でも、自分なりの父親にはなれる。それに気づいたとき、肩の力が抜けた。
その日から父は、完璧を目指さなくなった。できることを、できる範囲で、誠実にやる。時間を埋めるより、一緒に過ごす。特別なイベントより、日常を重ねる。
子どもは、父の家での時間を、「別の生活」として受け取るようになった。それは、代替ではなく、もう一つの居場所だった。
アメリカの面会交流は、競争的で、結果を求められがちだ。でも、父と子の関係は、評価されるものではない。数字でも、頻度でも、比較でもない。
父は、「週末だけの父親」という言葉を、やがて気にしなくなった。週末でも、夜でも、短い時間でも。
父は父だった。
この国では、そうやって、個人が自分の役割を引き受け直していく。制度が厳しくても、関係は、人の手で育てられる。
アメリカの面会交流は、ときに過酷だ。でも、その厳しさの中で、父親たちは、父親になっていく。
オーストラリア編
第1話 話し合いは、裁判の前にあるものだった
面会交流の話を始めるとき、その両親は、すぐに答えを出そうとはしなかった。
「今日は、決めなくていいですよ」
そう言ったのは、弁護士でも、裁判官でもない。面会交流を支援する第三者のファシリテーターだった。
オーストラリアでは、離婚後の面会交流について、いきなり“争う場”に行くことは少ない。まず、話し合う。それは、正しさを競うためではなく、現実を整理するためだ。
この家族でも、最初の面談は、ほとんど雑談のようだった。仕事の時間。通学の距離。子どもの性格。感情的な話題になると、ファシリテーターは、そっと話題を戻した。
「それは大事ですね。では、現実的にはどうしましょう」
誰かを説得するのではない。誰かを裁くのでもない。続けられる形を、一緒に探す。それだけだった。
父は、「毎週は無理だ」と言い、母は、「間が空きすぎるのは不安だ」と言った。どちらも、否定されなかった。その代わり、こう聞かれた。
「子どもは、今、どんな生活をしていますか」
話題が子どもに戻ると、空気が変わった。感情の角が、少しずつ取れていった。
最終的に決まったのは、完璧な計画ではなかった。隔週の面会。学校行事は、できるほうが参加する。変更が必要なときは、早めに伝える。それだけだ。でも、その“それだけ”が、長く続いた。面会交流が、特別なイベントにならなかったからだ。
オーストラリアでは、面会交流は「守らせるもの」ではなく、話し合い続けるものとして捉えられている。一度決めたら終わり、ではない。子どもが成長すれば、形も変わる。仕事が変われば、予定も変わる。その変化を、失敗とは呼ばない。
話し合いの前提があるから、関係は、極端な対立に向かわない。この家族でも、数年後、面会の形は変わった。でも、話し合いは、途切れなかった。
オーストラリアの面会交流は、穏やかだ。それは、人が優しいからではない。対話を、特別な行為にしない文化が、関係を支えているからだ。
第2話 大きくなったら、また話し合えばいい
その頃、子どもは少し背が伸びていた。前に決めた面会交流の形は、もう三年ほど続いている。隔週の週末。学校行事は、都合のつくほうが参加する。大きな問題はなかった。だからこそ、誰も「見直す必要がある」とは思っていなかった。
変化に気づいたのは、子ども自身だった。
「もう、一人で移動してもいいと思う」
その言葉に、父と母は、少し驚いた。これまで、送り迎えは大人がしてきた。それが当たり前だと思っていた。でも、ファシリテーターは、その言葉をそのまま受け取った。
「そう感じているんですね」
賛成も、反対も、すぐにはしなかった。代わりに、話し合いが始まった。安全面のこと。帰宅時間。連絡の取り方。大げさな議論ではない。日常の延長だった。
オーストラリアでは、面会交流の計画は、成長に合わせて変わるものだと考えられている。一度決めた形に、子どもを合わせるのではない。子どもに合わせて、形を動かす。
父は、「少し寂しいな」と言い、母は、「心配はある」と言った。どちらの感情も、否定されなかった。でも、最終的な基準は、そこではなかった。
「この子にとって、今、何が現実的か」
話し合いの軸は、終始そこにあった。
結局、一人での移動は、まずは短い距離から始めることになった。完全な変更ではない。小さな調整だった。子どもは、その決定を聞いて、安心したようにうなずいた。
「また変えてもいいんでしょ?」
その一言に、この国の面会交流の本質が表れていた。決めることより、決め直せること。オーストラリアでは、それが、関係を続ける力になる。
数年後、この家族の面会交流は、また形を変えるだろう。それでも、誰も不安に思わない。話し合う場所が、いつもそこにあるからだ。
面会交流は、成長に合わせて育っていく。オーストラリアは、そう信じている。
スペイン編
第1話 うまくいかなくても、やめなかった
最初から、うまくいっていたわけではなかった。
面会交流の日になると、子どもは、少し表情が硬くなった。行きたくないわけではない。でも、楽しみとも、言い切れなかった。
父と母の関係は、完全に落ち着いてはいなかった。連絡を取れば、どこかに小さな棘が残る。
スペインでは、家族の感情は、無理に整えられない。ぶつかることもある。疲れることもある。それを、「失敗」とは呼ばない。
この家庭でも、面会交流は、何度か形を変えた。時間を短くしたこともあれば、間隔を空けたこともある。場所を変えたこともある。そのたびに、大人たちは、少し落ち込んだ。
「また、うまくいかなかった」
でも、誰も、やめようとは言わなかった。
スペインでは、面会交流は、“うまくやるもの”ではなく、“続けるもの”として捉えられている。
ある日、子どもが言った。
「今日は、あまり楽しくなかった」
父は、一瞬、言葉に詰まった。でも、こう返した。
「そうか。教えてくれてありがとう」
言い訳もしなかった。説得もしなかった。
次の面会のとき、父は、予定を少し変えた。無理に話さない。長く一緒にいすぎない。ただ、同じ時間を過ごす。
子どもは、その変化に気づいた。
「今日は、ちょっと楽だった」
それだけで、十分だった。
スペインでは、関係が揺れることを、異常とは考えない。揺れながら、少しずつ、落ち着いていく。その過程ごと、関係だと考える。
父と母も、完璧な連携はできなかった。でも、最低限の合意は守った。
——子どもを、板挟みにしないこと。
その一点だけを、何度も確認し合った。
面会交流は、明るい話ばかりではない。スペインの空の下でも、迷いはある。疲れもある。それでも、やめなかった。
うまくいかなくても、続ける。スペインの面会交流は、その粘り強さで、子どもの時間を守っている。
第2話 笑って終われた日が、ひとつあれば
その日は、特別な日ではなかった。祝日でもなく、誕生日でもなく、ただの、いつもの面会交流の日だった。
父と子どもは、町の広場を歩いていた。石畳の道。カフェのテラス。子どもたちの笑い声。スペインの町では、家族が外にいることが、とても自然だ。
二人は、ベンチに腰を下ろし、アイスクリームを食べた。味を選ぶのに、少し迷って、結局、同じものを選んだ。
「また同じだね」
父が言うと、子どもは笑った。それだけで、その日の空気が決まった。
話題は、深いものではなかった。学校のこと。最近見た映画。友だちの話。父は、何かを“取り戻そう”とはしなかった。失った時間を、埋めようともしなかった。ただ、今ここにいる時間を、そのまま受け取った。
帰り道、子どもが言った。
「今日は、なんかよかった」
理由は、説明されなかった。でも、父にはわかった。楽しかった、というよりも、気を張らずに済んだという感覚だ。
スペインの面会交流では、すべての日が、前進である必要はない。うまく話せない日があってもいい。気まずい日があってもいい。でも、たまに、こういう日がある。笑って終われる日。
その記憶が、次の面会への不安を、少し軽くする。父と母は、この日の出来事を、多くは共有しなかった。
「問題はなかった」
それだけで、十分だった。
スペインでは、面会交流の成功は、大きな出来事で測られない。笑って終われた日が、ひとつでもあればいい。その積み重ねが、関係を続ける力になる。
石畳の広場で、アイスクリームを食べただけの一日。それでも、その日は、確かに、親子の時間だった。
台湾編
第1話 似ているからこそ、先に動いた
その母は、自分たちの家族が特別だとは思っていなかった。夫婦が別れ、子どもがいて、どうやって関係を続けるかに悩む。それは、台湾でも、日本でも、ごくありふれた光景だ。
最初のころ、母は、面会交流に前向きではなかった。会わせることで、子どもが混乱するのではないか。また傷つくのではないか。そんな不安が、頭から離れなかった。
父も、強くは求めなかった。「無理にとは言わない」そう言いながら、距離を保っていた。
台湾の家族観は、日本とよく似ている。家族は、できるだけ波風を立てず、感情を内にしまい、我慢しながら成り立たせるもの。だからこそ、面会交流は、「正解がわからないもの」として、長く避けられてきた。
転機は、第三者の一言だった。
「全部、一度に決めなくていいんですよ」
母は、その言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。会うか、会わないか。頻度はどうするか。場所はどこか。それらを、完璧に決めなければ始めてはいけない――そう思い込んでいた。
でも、台湾では、少しずつ始める選択が広がりつつあった。最初は、短い時間。公共の場所。第三者が近くにいる環境。「今日は、ここまででいい」そう言って終われる余地を、最初から残しておく。
その形で、父と子どもは、久しぶりに同じ空間にいた。会話は、ぎこちなかった。沈黙も多かった。それでも、終わったあと、子どもは言った。
「思ってたより、こわくなかった」
その一言で、すべてが変わったわけではない。でも、「次」が、想像できるようになった。
台湾の面会交流は、急激な改革ではない。声高な主張でもない。日本とよく似た文化の中で、できるところから、静かに動かす。それが、この国の選び方だった。
似ているからこそ、一歩先に動く。台湾は、そうやって、面会交流の風景を少しずつ変えている。
第2話 背中を押したのは、家族ではなかった
最初に声をかけたのは、家族ではなかった。学校の先生だった。
「最近、お父さんの話をするとき、少し表情が変わりますね」
母は、その言葉に、はっとした。子どもは、家ではあまり、父の話をしなかった。聞かれなければ、自分から話すこともない。それを、「もう気にしていないのだ」と思い込もうとしていた。
でも、先生は、続けた。
「話さないことと、感じていないことは、同じではありません」
台湾では、学校や地域の支援者が、家庭の問題に深く踏み込みすぎない。でも、見て見ぬふりもしない。
母は、その日、久しぶりに父へ連絡をした。長い文章は書かなかった。ただ、短くこう送った。
「一度、短い時間で会ってみる?」
父からの返事は、すぐには来なかった。しばらくして、こう書かれていた。
「ありがとう。無理はしない形で」
その言葉に、母は少し安心した。
面会交流は、支援センターの近くの公共スペースで行われた。時間は、三十分だけ。先生が言っていたように、子どもは、最初、ほとんど話さなかった。でも、別れ際、父の服の袖を、ほんの一瞬つかんだ。
誰も、その仕草に触れなかった。評価もしなかった。意味づけもしなかった。ただ、そこにあった事実として、受け取った。
次は、一時間。次は、少し歩く。一歩ずつ、関係は、取り戻されていった。
母は、あとになって気づいた。自分一人で決断しなくてよかったことに。先生の一言。支援者の場所。公共の空間。誰かが、強く引っ張ったわけではない。でも、誰かがそばにいた。
台湾の面会交流は、家族だけに責任を押しつけない。親の覚悟だけに委ねない。社会が、ほんの少し関わることで、家族は動き出せる。その距離感が、この国らしさだった。
子どもは、しばらくして、こんなことを言った。
「先生、なんで知ってたんだろう」
母は、笑って答えた。
「見てくれてたんだよ」
台湾では、面会交流は、家族の中だけで完結しなくてもいい。静かに、見守る目がある。そのことが、子どもにとっても、親にとっても、大きな支えになっている。
韓国編
第1話 反対されても、子どもの時間は守られた
その家では、面会交流の話題は、できるだけ避けられてきた。父と母の問題というより、家全体の問題だったからだ。
祖父母、親戚、年長者の意見。韓国では、家族の声は大きい。ときに、親よりも強い。
「もう会わせなくていい」
「混乱するだけだ」
「過去は忘れたほうがいい」
悪意のある言葉ではなかった。むしろ、子どもを思っての言葉だった。母は、その空気の中で、ずっと迷っていた。
一方、子どもは、父の話をしなくなった。聞かれないから、話さない。話さないから、「もう気にしていない」と周囲は思う。でも、ある日、子どもがぽつりと言った。
「パパは、今、どこにいるの?」
母は、答えに詰まった。それは、初めてではなかったはずだ。でも、その日は、逃げられなかった。
韓国では近年、面会交流をめぐる考え方が、少しずつ変わってきている。「親の都合」よりも、「子どもの時間」。その言葉を、母は、支援窓口で初めて聞いた。
強く背中を押されたわけではない。でも、選択肢を示された。
「短い時間からでも、始められます」
「家族全員が納得していなくても、子どもの気持ちは別に考えていいんです」
その言葉は、母の中に、小さな隙間をつくった。
最初の面会交流は、支援施設で行われた。時間は、ほんの三十分。父は、何も約束しなかった。取り戻そうともしなかった。ただ、子どもの話を聞いた。
帰り際、子どもは、何も言わなかった。でも、その夜、母に聞いた。
「また、会える?」
母は、静かにうなずいた。
家族全員が、この選択に賛成したわけではない。反対の声も、まだあった。それでも、母は思った。
家族を守ることと、子どもの時間を守ることは、同じではない。
韓国の面会交流は、今も、揺れている。伝統と変化。家族と個人。感情と制度。その狭間で、それでも、子どもの時間を切り離そうとしない。反対されても、迷いながらでも。
韓国は、そうやって、面会交流の形を少しずつ、更新している。
第2話 恨みを語らず、時間を重ねた
最初のころ、父と母のあいだには、はっきりとした感情が残っていた。怒り。悔しさ。裏切られたという思い。
韓国では、こうした感情を、簡単に水に流すことはしない。「なかったこと」にするより、心に残したまま、生きていく。それは、弱さではなく、誠実さだと考えられている。
だから、面会交流が始まっても、父と母の感情は、すぐには変わらなかった。連絡は最低限。目も、できるだけ合わせない。「子どものため」という言葉で、感情が消えるわけではない。
それでも、二人は一つだけ、決めていた。
その感情を、子どもの前に出さないこと。
面会交流は、毎回、同じ場所だった。同じ曜日。同じ時間。変化は、ほとんどなかった。父は、仕事の話をし、子どもは、学校の話をした。特別な出来事は、起きない。でも、回数だけは、確実に重なっていった。
数か月が過ぎたころ、母は気づいた。子どもが、面会の日を気にしなくなっていることに。楽しみにしている、というほどでもない。嫌がっている、というわけでもない。
生活の一部になっていた。
ある日、子どもが言った。
「パパは、こういう人なんだね」
評価でも、感想でもなかった。ただの、理解だった。
父も、母について、多くを語らなかった。悪く言うことも、弁解することもなかった。恨みは、どこかに残っていたかもしれない。でも、それを処理する場所は、面会交流の時間ではなかった。
韓国の面会交流は、感情を“解決”しようとしない。代わりに、感情を抱えたままでも、続けられる形を選ぶ。怒りがあるから、やめるのではない。恨みがあるから、切るのではない。それらを抱えながらでも、子どもの時間は、淡々と守る。
一年が過ぎたころ、父と母は、初めて短い言葉を交わした。
「元気そうだね」
「うん」
それだけだった。でも、それで十分だった。
韓国では、和解は、劇的に訪れない。拍手も、涙もない。ただ、時間が積み重なり、感情が生活に沈んでいく。その過程で、子どもは、どちらの親からも、切り離されない。
恨みを語らず、時間を重ねる。韓国の面会交流は、その静かな選択で、子どもの日常を守っている。
終章・世界の面会交流の歴史
面会交流は、最初から「当たり前のもの」だったわけではない。むしろ長いあいだ、親が別れれば、子どもとの関係も終わる――それが世界の常識だった。
この章では、世界がどのようにして「別れても、親子であり続ける」という考え方にたどり着いたのかを、時間の流れに沿って見ていきたい。
1.かつて、子どもは「親のもの」だった
20世紀の前半まで、多くの国で、子どもは親の権利の一部として扱われていた。離婚が起きると、親権は父か母のどちらか一方に与えられ、もう一方の親は子どもの生活から切り離される。
会うかどうかは、親権を持つ側の裁量次第。法的に守られた「会う権利」は、ほとんど存在しなかった。この時代、子ども自身の気持ちが考慮されることは、ほぼなかった。「誰の子どもか」――それがすべてだった。
2.社会が変わり、家族が変わり始めた
状況が大きく動き始めたのは、20世紀後半である。戦後、欧米を中心に社会構造が変化し、離婚は例外的な出来事ではなくなっていった。
同時に、心理学・発達学の分野で重要な知見が蓄積されていく。
- 子どもにとって、親との関係は「一人分」では足りないこと
- 親との突然の断絶が、長期的な心理的影響を与えること
- 安定した愛着関係が、子どもの成長に不可欠であること
ここで、社会の問いが変わる。「親権は誰にあるべきか」から、「子どもにとって、何が必要か」へ。
3.大きな転換点:1989年・子どもの権利条約
世界の流れを決定的に変えたのが、1989年に国連で採択された「子どもの権利条約」である。この条約は、それまでの家族観を根本から揺さぶった。
子どもは、保護される存在である以前に、一人の権利主体であると明確に宣言されたのだ。
条約には、次のような考え方が盛り込まれている。
- 子どもは、父母の双方と関係を保つ権利を持つ
- 親の都合ではなく、子どもの最善の利益が最優先される
- 子ども自身の意見は、年齢と発達に応じて尊重される
ここから、面会交流は「親の好意」や「努力目標」ではなく、子どもの権利として位置づけられていく。
4.国ごとに異なる歩み
ただし、世界は一斉に同じ速度で変わったわけではない。
北欧諸国
- 共同養育が社会の前提に
- 離婚後も「二つの家を持つ子ども」が一般化
- 面会交流という言葉自体が、特別ではなくなる
英語圏・西欧
- 法制度の整備
- 面会交流支援員・調停制度の発展
- 「会わせないこと」への社会的違和感が強まる
それぞれの国が、自分たちの文化に合った形で、「別れても関係を切らない方法」を模索してきた。
5.面会交流は「新しい制度」ではない
こうして振り返ると、面会交流は突然生まれた制度ではないことがわかる。それは、社会が子どもを一人の人間として扱い始めた結果なのだ。
一人の人格として、関係を持ち続ける存在。その理解に、世界が少しずつ追いついてきた。
面会交流とは、親のための制度ではない。離婚を円満に見せるための装置でもない。
子どもが、自分の人生を途中で分断されずに生きるための最低限の仕組みである。この理解が、世界の各地で、少しずつ共有されてきた。
6.そして、私たちの現在へ
今も、世界の面会交流は完成形ではない。葛藤は続き、制度は更新され、現場では迷いが繰り返されている。
それでも、ひとつだけ、戻らない地点がある。
「親が別れたら、子どもとの関係も終わる」という考え方には、もう戻らない。
この歴史の上に、これまで読んできた世界各国の“いい話”がある。そして、この流れは、いま、私たちの足元にも静かに届いている。
北川 仁美
2013年に札幌市で一般社団法人アイエムアイを創業した女性起業家・保育士。「保育士が安心して幸せに働ける場所をつくる」という強い信念を抱き、保育園「キッズルームなるなるの木」を運営中。また、面会交流サポート事業を通じて親子間の絆を支え、「父性・母性調和型保育(ハイブリッド保育)」を理念として掲げる。地域とのつながりを重視し、未来を見据えた保育と社会貢献の道を歩み続けている。